【藤沢 観光スポットレポ】杉山検校の墓-日本鍼灸の礎を築いた偉大なる先人
藤沢市江の島にある「杉山検校(けんぎょう)の墓」をご紹介します。
杉山検校は江戸時代の鍼灸師であり、本名は杉山和一(わいち)といいます。検校とは、盲人の役職の最高位の名称です。現在の日本鍼灸の礎を築いたのが杉山検校です。和一は1610(慶長15)年、伊勢国安濃津(現在の三重県津市)の武家の長男として生まれ、幼少期の名前は養慶(やすちか)といいます。幼少期にかかった伝染症が原因で失明してしまった養慶は当道座に入門し琵琶法師としての修行に入り、一方流(いちかたりゅう)を学び、15歳の時に師から「和一」の名前を与えられました。琵琶法師としての修行を続けていた和一でしたが、盲目の鍼医である山瀬琢一の存在を知り、鍼に興味を持ちます。山瀬は同じ当道座の琵琶法師でその後鍼の修行をして江戸で鍼医として活躍していました。鍼医として世間の役に立ちたいと思い立った和一は17歳の時に山瀬琢一に弟子入りを果たします。しかしながら不器用で技術が向上しなかった和一は師から破門され、なんとしても鍼医として成就したいという思いで江の島弁財天を参拝し岩屋にこもり断食修行を行いました。この時に新しい鍼の技術に開眼したと言われています。その後に京都で入江豊明に師事し修業に励みます。その後、江戸にもどって開業し、大活躍したそうです。1670(寛文10)年、検校になりました。
1694(元禄7)年に亡くなり、東京都墨田区の弥勒寺にお墓が作られました。江の島の墓地は一周忌の命日(5月18日)に次の総検校である三島安一が造立したもので、1963(昭和38)年には藤沢市指定文化財「史跡」に指定されています。
江の島大橋を渡って江の島に入るとすぐ目の前には弁財天仲見世通りの入り口があります。こちらは土産物や飲食のお店が並んでおり大変にぎわいます。
通りを抜けるとお馴染みの江島神社の入り口の大きな鳥居が見えてきます。
この鳥居はくぐらずに右手に向かいます。こちらにも案内の石柱が立っています。
坂道を上ると右手に見えてきます。こちらの石柱は大正13年5月18日に建立されたものです。和一が亡くなって230年後になります。
階段を下りるとすぐ右手にお墓が有ります。
杉山和一は杉山流鍼治導引稽古所を開設しましたが、これは世界初の視覚障害者の為の職業訓練校で、現在の江島杉山神社(東京都墨田区)の場所になります。この場所は和一が徳川綱吉の病を治したことで土地が与えられ、江の島の弁財天を分霊して江の島弁財天社が作られた場所になります。和一が修業した岩屋を模した岩窟も作られています。弥勒寺もこちらの近くです。
日本の鍼灸の発展の陰には実は江ノ島弁財天のお力が大きく関わっていたのですね。江島神社を参拝した際にはぜひ寄ってみてください。
施設紹介
【杉山検校(和一)の墓】
住所:神奈川県藤沢市江の島2丁目2