【葉山 観光スポットレポ】旗立山(鐙摺山) - 葉山の隠れた史跡を訪ねる
高さ25mの小山
葉山で山といえば、仙元山と三ヶ岡山がよく知られていますが、こんなところに山なんてあったの?という意外なところに「旗立山」はあります。
葉山港を臨む場所に「旗立山」はあります。
海の目の前、逗子との境に位置しており、県道森戸海岸線がすぐそばを通り、一見すると山とも思わず見逃してしまいそうになります。
周辺を歩いてみると感じるのは、もしかしたら、県道が開通する前は海に伸びる山が内陸から続いていたのかと想像が膨らみます。
また旗立山は、鐙摺城址としての史跡でもあり、町指定文化財にもなっています。
鐙摺山
そもそも鐙摺という呼び名も珍しく、すぐに読める方はそう多くはいないでしょう。正解は「あぶずり」ですが、この由来も史跡らしいものです。
伊豆蛭ヶ小島に配流されていた源家の嫡流頼朝が、治承元年(1177)、三浦微行(びこう)の折り、鐙摺山城に登るとき、馬の鐙(あぶみ)が地に摺れたのでこの名が付いたと言われる。
源平盛衰記では、石橋山に旗上げした頼朝に呼応した三浦一族の三浦党は、この鐙摺の小浜の入江から援軍として出陣したとしている。
この合戦で頼朝は敗走するが、三浦党も酒匂川畔まで行き、敗戦を聞き引き返す途中、小坪あたりで畠山重忠軍と遭遇したとき、お互いの誤解から合戦になるが、この時、鐙摺山城にいた三浦党の絵師三浦義澄はこの様子を望見し援軍を送ったが、和解が成立し、再び軍をこの鐙摺山城に引きかえした。
鐙摺山城を旗立山(はたたてやま)と呼ぶのはこのためである。参照元:葉山まちづくり協会|葉山の文化財
源頼朝様も登ったといわれる旗立山に早速登ってみましょう。
県道側から階段が併設され登りやすくなっています。途中からは、山肌に沿った石造りの足場が続き頂上に続いています。
ものの数分で山上に到着。想像以上に平坦で広々としています。
ここに城があったというのも頷ける広さです。
海側に立つと、目下に葉山港、遠くは江ノ島、雲が出ていなければ富士山も臨める眺望で、歴史にあるように物見の良さを生かした城だったことが実感できます。
確かに、歴史にあるように小坪の合戦も見えたことでしょう。
広い山上にひっそりと供養塚がありました。
史跡めぐりに
昨年の大河ドラマを熱心に見ていた私は、ここに繋がっていくのか!と興奮したことは言うまでもありません。
隠れた穴場、鎌倉殿スポットではないでしょうか。
鎌倉時代が成立する頃に歴史の表舞台にあった旗立山、その後どうなっていったのかは周辺からはわかりませんが、今も残るその場所でひっそりと歴史に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。
施設紹介
【旗立山】
■住所:〒240-0112 神奈川県三浦郡葉山町堀内41-1