【葉山 観光スポットレポ】森山神社-素戔嗚尊を支えた農耕の女神
葉山町一色にある「森山神社(もりやまじんじゃ)」をご紹介します。
通称、森山神社ですが、正式名称は「森山社(もりやましゃ)」です。JR横須賀線の逗子駅から京浜急行バスで約20分、「旧役場前」にて下車、徒歩約3分です。バス停から国道134号線を御用邸の方へ向かって歩き最初の曲がり角を右折してすぐに参道の入り口が見えてきます。神社には駐車場がありませんので車の場合には近くのコインパーキングを利用しましょう。
民家の中にある参道を抜けると右手に一色会館があります。こちらはお祭りの際には舞台となり、正面には広場があり客席になるひな壇も作られています。
階段や参道の周辺に使われている御影石は葉山町の旧役場玄関前で使われていたものが移設されているそうです。1984年(昭和59年)に現在の場所に町役場は移転しています。国道から旧役場までの階段はそのまま残されていましたがバス停の新設に伴い使われていた石材は廃棄される予定でした。しかし、当時の面影を残す物が消える事が惜しまれた事と、資源として活用するという観点から神社の一部として再生されました。
階段を上がると正面に本殿があります。御祭神は奇稲田姫命(くしなだひめのみこと)です。
八岐大蛇(やまたのおろち)の神話をご存知の方も多いかと思いますが、簡単にお話しすると、高天原を追放された素戔嗚尊(すさのおのみこと)は中津国(現在でいうこの地上の世界の事)に降り立ちます。川に箸が流れてきたのを見て、上流で誰か生活しているだろうと向かってみると、泣いている老夫婦を見かけます。なぜ泣いているかを問うと「毎年、ヤマタノオロチがやってきて娘を食べられてしまう。8人いた娘ももう最後の1人だ。」と答えます。その娘を見た素戔嗚尊は「その娘を嫁にしてくれるならヤマタノオロチを退治してやろう。」と言います。その娘が奇稲田姫命でした。老夫婦は足名椎(あしなずち)と手名椎(てなずち)でした。素戔嗚尊に退治を依頼します。そしてヤマタノオロチは倒されました。この時、オロチの尾から出てきたのが天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)、この剣は高天原の天照大御神に献上され、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が天孫降臨の際に三種の神器の一つとして再び地上に戻ってきます。後に草薙剣(くさなぎのつるぎ)と呼ばれるようになりました。
八岐大蛇は実際には山火事や洪水といった自然災害を表しているという説があり、この話は農耕に関わる神話で、その為「稲田」が名前になっているともいわれています。
奇稲田姫命はその後素戔嗚尊の妻になります。八岐大蛇と戦う時には素戔嗚尊は奇稲田姫命を櫛(くし)に変えて髪にさしていました。その為、「櫛名田比売(くしなだひめ)」とも表記されます。
こちらの神社には摂社も多く鎮座されています。
本殿に向かって右側には神明社(伊勢神宮の分社)、御祭神は天照大御神、豊受大神。
そのお隣には稲荷社、御祭神は宇迦之御魂神、保食神。
本殿に向かって左側に並んで鎮座されるのは、一番左から順番に稲倉魂社、御祭神は宇迦之御魂神。
大国主神社、御祭神は大国主命。
浅間神社、御祭神は木花咲耶姫命。
船玉神社、御祭神は底筒男命、中筒男命、上筒男命、そして船玉神社内に金刀毘羅神社も併せて鎮座されており、御祭神は大物主神、金山彦神。
神様のご紹介をさせて頂きたいところですがこれだけたくさんいらっしゃるのでまたの機会に…。
施設紹介
【森山神社】
住所:三浦郡葉山町一色2165