【横須賀 観光スポット】弟橘媛命の記念碑-日本武尊と海を守る女神
横須賀市走水にある「弟橘媛命の記念碑」をご紹介します。こちらはパワースポットとして有名な走水神社の境内にあります。京浜急行線「馬堀海岸駅」または「横須賀中央駅」から京急バス「観音崎行」に乗り「走水神社」で下車し徒歩2分です。
駐車場もありますが細い道を通った先の神社の裏にあるので大型の車は入れません。
こちらの神社の御祭神は
日本武尊(やまとたけるのみこと)
弟橘媛命(おとたちばなひめのみこと)
の二柱になります。
日本武尊は、日本古代史における英雄であり、第12代景行天皇の皇子として多くの戦いや冒険を経験しました。妻である弟橘媛命はこの旅に同行して献身的に彼を支えました。その中で、走水の海で残したエピソードは特に有名です。
現在の奈良県を中心とした大和地方では天皇を中心とした大和朝廷が周辺地域を治めていました。朝廷に反抗する勢力を制圧する為に景行天皇の命で日本武尊は西国(現在の九州地方)へと送られます。西国を制圧して戻った日本武尊は弟橘媛命と出会い結ばれましたが、すぐに、景行天皇の命で今度は東国(現在の関東地方)への遠征に出る事になります。弟橘媛命もこの危険な旅に同行し、彼の支えとなったのです。
東征の道中で相模国(現在の神奈川県)から上総国(現在の千葉県)へ行く為に走水から浦賀水道を渡ろうとしますが、突然大嵐に見舞われました。嵐の中、船で渡る事は出来ず乗組員たちは絶望に包まれます。この状況を見た弟橘媛命は、これは海神の怒りであり、自らの命を捧げることで海神を鎮める決意を固めました。弟橘媛命は日本武尊と乗組員たちの命を救うために海に身を投げたのです。彼女の自己犠牲により嵐は収まり、船は無事に渡航することができました。彼女のこの勇敢な行為は、日本武尊に深い悲しみをもたらしましたが、その後の戦いで彼の勇気と決意をさらに強固なものとし、彼女の犠牲を無駄にしないよう戦い続けました。彼の旅は続き、多くの勝利を収めましたが、弟橘媛命の身投げは東征に深い影響を与え日本武尊の英雄譚を一層感動的なものにし、日本の古代史における女性の役割とその重要性を示すものとして知られています。
弟橘媛命は、彼女の勇敢さと献身によって多くの神社に祀られています。特にここ走水神社は、彼女の身投げのエピソードと共に霊を祀る神社として有名であり、彼女が読んだ辞世の句が記念碑として残されています。
走水神社の本殿に向かう階段を登り、向かって左側に立つ案内に従って進むと記念碑があります。階段のそばには杖がおいてあります。山の上にも見るべき所がありますので心配な方は杖を借りましょう。
本殿左側に鎮座される別宮には弟橘媛命が入水した際に後を追った侍女達、そして東征の旅に同行した武勇士十人(十王)が祀られています。
途中、海が一望できるところで休憩も可能です。
道が二手に分かれますがどちらから上っても記念碑の前に出ます。
「さねさし さがむのおぬにもゆるひの ほなかにたちて とひしきみはも」
内容は「さねさし(相模の枕詞)相模(さがむ)の小野(おぬ)に燃ゆる火の火中(ほなか)に立ちて、問ひし君はも」という意味です。
これはまた別のエピソードについて詠まれた句です。相模国の旅の途中で日本武尊は国造「くにのみやつこ、地方の豪族の事)に騙されて野原で火を放たれ焼かれそうになりました。この時は天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)で草を薙ぎ払い逆に火を放つ事で難を逃れます。この時に日本武尊が弟橘媛命の名を呼んでくれた事に対して、愛しいあなたのために身を投げます、という思いが込められています。余談ですが、この時のエピソードから天叢雲剣は草薙剣(くさなぎのつるぎ)と呼ばれるようになったと言われています。
この記念碑は明治42年10月に建立されました。「勲一等昌子内親王書」とありますが、昌子内親王は明治天皇の第六皇女です。
石碑の裏側には
「嗚呼此は 弟橘比賣命いまはの御歌なり命夫君 日本武尊の東征し給ふ伴われ 駿河にては危き野火の禍を免れ 此の走水の海を渡り給う時端無く暴風に遭ひ 御身を犠 牲として尊の御命を全からしめ奉りし其のいまはの御歌なり御歌に溢るゝ真情はすべて 夫君の御上に注ぎ露ばかりも他に及ばず其の貞烈忠誠まことに女子の亀鑑たるのみならず 亦以て男子の模範たるべし平八郎等七人相議り同感者の賛成を得記念を不朽ならしめ むと御歌の御書を 常宮昌子内親王殿下に乞ひ奉り彫りてこの石を建つ 明治四十二年十月」
という説明と、発起人の名前が刻まれています。
そのまま上っていくと上には神明社、諏訪神社、須賀神社の三社がありますが、その手前に日本武尊の一行が東征の際に成功を祈願したという旧稲荷社があります。弟橘媛命もこちらを参拝されたのでしょう。
ちなみに本殿右側には現在の稲荷社、その隣には旧別宮があります。
また、本殿に向かう階段の右側には「舵の碑」があります。
弟橘媛命の姿が描かれています。左側には
「弟橘媛命が崇高な情熱をもって守られたこの浦賀水道は近年世界の航行もはげしく海難をふせぐことは各方面から要望されるところです 国際婦人年に当り由緒あるこの大舵に航海の安全を託してゆかりの地走水に建立海への関心を高めたいと思います 遠つ世に弟橘の鎮ませるこの海原よ安らけくこそ 昭和五十年十一月吉日 弟橘媛命舵の碑を建てる会発起人一同」
と書かれてあります。浦賀水道とは三浦半島と房総半島の間、東京湾の入り口に当たる海の事を言います。この時に改めて弟橘媛命が海を守る神として祀られたのでしょう。
走水神社の近くには走水海水浴場もあります。走水海岸は波も穏やかで房総半島も一望できる海水浴場としてだけで無く、春には桜がとても綺麗で人気のスポットです。日本武尊を思い海に身を投げた弟橘媛命の最期は景行天皇40年(西暦110年)とされていますが、そこから1900年以上経過した現在でも走水の海を守り続けてくださっているのかもしれません。
施設紹介
【弟橘媛命の記念碑】
住所:横須賀市走水2丁目11−5
関連リンク