【小田原 観光スポットレポ】中里遺跡ポケットパーク - いにしえの関東で稲作始まりし場所
日本。別名、瑞穂の国。まさに米によって栄える国。
日本の稲作の歴史については諸説あるものの、関東では弥生時代中期(約2100年前)には始まっていた事が、小田原の中里遺跡によって証明されています。
この中里遺跡ポケットパークは、その事を伝える記念碑的な存在です。
観光スポットとしては、ごく小ぶりですが、休憩がてら悠久の時間に思いを馳せるのも良いのではないでしょうか。
埋め戻された遺跡を後世に伝えるもの
発掘された遺跡のあった場所の上の大半は、現在では「ダイナシティ」という大規模なショッピングモールが建設されています。
経済的に重要な区画なので、そのまま保存という訳にはいかず発見と試掘の後には埋め戻され、今に至ります。
そのため、遺跡を実際に目の当たりする事はできません。
代わりにポケットパーク内に柱の縮尺レプリカが設置されていますが、じっくり見るというよりは、古代ではそのような場所だった事を示してくれる程度のものです。
古代の空気にもっと浸りたいという場合には、すぐ近くの「川東タウンセンターマロニエ」内の図書スペースに収蔵されている書籍へ目を通すと良いでしょう。
関東最古にして東日本最大の集落跡
中里遺跡は弥生時代中期の中ごろ(約2100年前)の物であると考えられており、関東としては最古の物です。
それと同時に規模も極めて大きく、弥生時代中期の東日本で最大のものであったと考えられています。
遺跡では水田耕作を行っていた痕跡が見つかっており、住居跡については竪穴・掘立柱・高床式の倉庫、そして方形周溝の墓が確認されています。
つまり住居と墓が隣接しており、これによって関東における弥生時代の人々がどのような生活をしていたのかが推測できる物となっています。
西日本からの文化伝播も確認されている
中里遺跡では、関東に先行して稲作が始まっていた西日本より弥生文化が伝播した形跡が、発掘された土器から確認されています。
出土品は地域独自の方式とされる中里式(須和田式とも)土器に次いで、瀬戸内地方の土器が多く含まれていたからです。
つまりは西日本から移動してきた人々が、現地の人々と合流して居住していた跡といえます。
現在、関東地方の弥生文化は西日本からの影響を受けつつも、あっという間に変化したのではなく長い時間をかけて縄文文化から緩やかに移行していったという説が強く支持されていますが、この中里遺跡はそれを証明するものの一つともなっています。
併せてダイナシティの散策もおすすめ
中里遺跡ポケットパークは、ダイナシティのごく一部の区画に存在しています。
ポケットパークの名の通り極めて限定的な区画でしかないため、近隣にお住まいの方はともかく、このためだけに遠方から小田原を訪れるには少々モチベーション的に厳しい部分があるかもしれません。
そこで、ポケットパークと対照的に巨大な商業施設であるダイナシティも目的の中に内包にしてしまうのがおすすめです。
ダイナシティとは、具体的にはポケットパークを目の前とする百貨店型の「ウエスト」、映画館やフィットネスクラブが並ぶ「ウォーク」、そしてイトーヨーカドーや家電量販店エディオンが入る「イースト」と、3つの区画に分かれた商業施設です。
毎日のお買い物からレジャー需要までを単体で受け止める郊外型のショッピングモールです。1日を十分に過ごせるだけのボリュームですので、歴史と一緒に楽しんでしまうのも悪くないでしょう。
施設紹介
【中里遺跡ポケットパーク】
・住所:〒250-0872 神奈川県小田原市中里208
・電話番号:0465-33-1715(小田原市役所文化部 文化財課埋蔵文化財係)
・営業時間:24時間(定休日無し)
アクセス
自動車 東京方面から:
国道1号線で国府津前を通過後、2つ目の「親木橋」信号を右折
1つ目の「富士見橋際」信号を左折、巡礼街道を小田原方面に約1.5km直進
自動車 静岡方面から:
国道1号線で酒匂橋を通過後、4つ目の「酒匂県営住宅入口」信号を左折
公共交通機関:
JR「鴨宮駅」下車後、バスにて約10分
箱根登山道バス・鴨宮駅バス停1番乗り場「ダイナシティ行き」