【大磯 イベントレポ】大磯の左義長 - 国指定重要無形文化財が3年ぶりに開催!
島崎藤村も惚れ込んだ伝統の火祭り
小正月に行われる火祭りとして、全国各地で「左義長 (さぎちょう) 」があります。
「左義長 (さぎちょう) 」「どんど焼き」「さいと焼き」など、地域によって呼び名も様々。
「大磯の左義長」は、国指定重要無形文化財に選ばれるほど有名で、地域の人々からも親しまれています。
かつて、文豪・島崎藤村も「大磯の左義長」を見て心動かされ、大磯に移り住んだと言われているほどです。
「大磯の左義長 」とは?
大磯の左義長はセエノカミサン (道祖神) の火祭りで、セエトバレエ、ドンドヤキとも呼ばれており、国の重要無形民俗文化財に指定されています。
由来は、昔この辺りで目一つ小僧と呼ばれる厄神が、村人のおこないを帳面に書いてまわっていたところ、夜が明けてしまい慌てて帳面をセエノカミサンに預け、そのまま帰ってしまい、帳面を預かったセエノカミサンは困り果て、自分の家とともに帳面を燃やしてしまいました。これがセエトバレエ (左義長) の始まりと言われています。
祭り当日は、町内各所のおんべ竹やお仮屋などを片付け、集められたお飾りや縁起物を浜辺に運んで9つの大きな円錐型のサイトが作られます。日が暮れると9つのサイトに火が入れられ、この火で団子を焼いて食べると風邪をひかない、燃やした書き初めが高く舞い上がると腕が上がる、松の燃えさしを持ち帰って屋根に載せておくと火災除けのまじないになるともいいます。
コロナ禍で2年連続中止となっていましたが、今年は3年ぶりの開催となりました。
お祭りは夜開催されますが、日中様子を見に行ってみると、着々と準備が進められていました。
海岸に建てられたサイトの数は9基。高さは7〜8mほどあるそうです。
町内の人々の正月飾りや書き初め、旧年のお守りなどがサイトにセットされています。
書き初めを燃やすと上達すると言われ、子供のころはよく焚き上げに出したものです。
火祭りの最中、「ヤンナゴッコ」と呼ばれる綱引きも行われます。
ソリ型の台の上に乗せられた悪霊・疫病神が押し込められている藁縄で編まれた「仮宮」。
海側と陸側で3回引き合いを繰り返した後、岸で「仮宮」は踏み潰され、疫病神を退治すると言われています。
実際のお祭りは夜の暗闇の中、サイトを燃やす火の光しかないので、「仮宮」がしっかり確認できるのは日中のうちだけかも知れません。
時間に余裕があれば日中の様子を見ておくとより一層楽しめるかと思います。
お祭りは火が点火される18:30から始まります。
暗い時間にも関わらず、町の人たちは続々と海岸へ向かいます。
その時、お団子を吊るした竹竿を抱えて向かう人の姿がみられます。
この光景を見ると、「左義長が再開できるんだな」と、中止になったこの2年を取り戻すような気分で感慨深いものがありました。
18:30の点火に合わせて、9基あるサイトのいずれかを囲むようにみなさんスタンバイしています。
私もこの機会にお団子をセットして持ってきました。
ちなみにこのお団子+竹竿は、町内の様々なお店で売られています。
私は以前湘南人でご紹介したパンの蔵で購入しました。
点火を待っていると、特に掛け声や合図のなく、定刻に点火されていました。
小さな火から、燃え盛る大きな火に変わったころ、半被を羽織った男性陣が登場します。
これは、昼間見た「ヤンナゴッコ」の始まりです。
半被を脱いで褌姿になった男性陣は、掛け声と共に「仮宮」を海に引っ張ります。
「仮宮」を引き、寒く冷たい海に飛び込んでいく褌姿の男性陣の勇ましい姿に、訪れた人たちは観釘付けになります。
海に3回引き入れ、陸に上がってくる時には、拍手喝采となりました。
「ヤンナゴッコ」が終わった後も、各サイトの火は燃え盛っているので、持参したお団子をしっかり焼いて、祭りを後にしました。
左義長の火で焼いたお団子を食べると、この1年風邪を引かないと言われています。自宅に持ち帰ってしっかりいただきました。
コロナ禍で当たり前のイベントまでもが中止せざるを得ない状況に追い込まれていましたが、徐々に日常を取り戻しつつあります。
この「大磯の左義長」も町民から愛される、大磯になくてはならないお祭りで、3年ぶりの開催に歓喜した人は多いのではないでしょうか。
今年行った方も、行けなかった方も、来年の左義長にぜひ足を運んでみてはいかがでしょうか。
イベント紹介
【大磯の左義長 (さぎちょう) 】
■開催日:2023年1月14日 (土)
※年1回、小正月前後の土曜日に開催されます
■開催時間:点火18:30〜
■開催場所:〒255-0003 大磯町大磯1990番地先(北浜海岸)
アクセス
大磯駅より徒歩10分